下面是我今日向我所在的manager提出的交戰檄文,還算是夠客氣地了。
我給他的機會也只有這一次了,如果,他還一如既往,屢不悔改的話,那麼當面決戰也肯定是釘上釘,卯上卯的事情。
雖然,很多事情的確不可能是一個巴掌拍得響的,這是常識。但是,莫名其妙地有事無事地朝我做小動作,人再忍耐,也是有限度的。說句不好聽的話,誰都會耍潑,國內國外,電視上,電視下的見的也多。
只是多年來,因為自己在國內當年還算是文明之地呆過那麼幾年,所以,做任何事的時候,都是盡量先禮而且也不去面紅耳赤地爭論而已罷了。當然,說起禮或者習慣,各個國家或者個人都有不同的看法,即使同一個國家或民族,也可能不相同。就如我在國內時也看到很多人把筷子直接插在白米飯上,當然,我也插過,但是,在日本,當然,也時候後來聽人說,只有給死人的飯才會那樣做。所以,我剛來日本時,有一次別人提醒我了才知道。還有穿日本和式旅館里的浴衣時,衣襟的拉法也有講究,有一次穿著浴衣去泡旅館的溫泉時,在換衣間被一個女孩子特意指出來衣襟左右兩片拉錯了,現在是哪個在上哪個在下,我也忘了。
這次的事情,也是有所謂的manner的問題而引起的。在前面的文中,我已經詳述,我沒有認為我的做法就是沒有manner。當然,根據人不同,可能也有很多不同。後來就此事和我國內的朋友說了,大家也沒有認為這就不對,都是在電腦屏幕前說明,又不是挑釁誰。我當時被喉得莫名其妙,還覺得他是不是瘋了,所以當時很憤怒地看了他的。。。由於這些,才會有了紛爭和我的冒火。具體,不多說了,下面就是我發給那個上司的迴文。有些涉及公司人名的地方,隱晦見,我省略了。
ご返事とご指摘、どうもありがとうございます。
下記の內容について、冷靜に読んでいただきたいと思います。
今回の件で、正直に言うと、私は當時、手元にある道具 ―― 紙でスクリーンを指して、説明するのは。。さんに対して、最低限のマナーを持っていないと思いません。それは単なる私の極自然のやり方でした。今回の件で私の友達に聞いたら、皆、マナーが悪いと思っていません。皆、幼稚だといえますか?人や國によって、判斷が違うのではないでしょうか?かえって、私の説明する途中に突然、大聲で私に叫ぶのは私には、受け入れられません。受け入れられないのは私の今回の「不徳」です。それにしても、私は黙って、席から定規をとって、説明しました。その當時のままの姿勢で、指で畫面を指すことができません。どんな場合でも私もできる限り、笑顔を出したいですけれども、今後もそのように努力します。職場最低限のマナー基準について、そのマニュアルを出していただいたら、助かります。
「なに」との言い方については、私は他の同僚との會話の時もよく使います。今まで、「なに」の言葉で問題になったことがありませんでした。私は半日コースで約1年間9ヶ月ぐらい日本語を勉強したので、當然 native speakerに比べられません。いいわけを言いたくないですが、一所懸命仕事をしている最中、急に後ろから聲をかけられる時、もっとふさわしいご返事があったら、教えていただければと思います。
その日に、途中から私に対して不愉快な気持ちを持たれたのは申し訳ないですが、意味が分かりません。私は。。さんのメールを読んで、それだけの內容で監査法人に説明ができないと答えました。その後、。。さんのご指示で、資料を作成して、説明しただけです。その前にまったく話したことがありませんでした。
個々人の経験、生活環境、習慣、知識、性格が色々違うと思いますが、まず、人を尊敬すべきです。勿論、色々な習慣で誤解する場合もありますが、真剣に話し合えば、解決できる問題です。職場で、上司は気分が悪くなることには色々な理由があるとはいいますが、いくら部下であって、いつまでも上司からの他の同僚と違う冷たい話し方やきつそうな口調などでの扱いを受ける義務がありません。いくら個人的な好き好きがあっても、それは仕事と関係がないです。業務をよく間違っていて、お話しは別かもしれません。今まで、人にいくらきつそうに言われたとしても、私の場合、見過ごそうか避けようとしていただけです。人が黙っていることは決して他人にいくらきつく言われても、いじめられてもいいと容認することではありません。世の中に、恫喝、恐喝、脅迫が多いです。合法に見える非合法の手段で人に不利益を被らせるのも少なくないです。このような行為は人間としてあるまじき行為だと思います。いかなる場合でも、怯える必要がありません。「勿以弱小而欺之,勿以強大而恐之」というのは人間としての本來の姿になるべきではない(注 這兒少了一個 か 字,意思就有點兒完全不同了,但我有上下文,應該能理解的。)と思います。日本の職場風土は色々違うだろうと言っても、民主、文明國家という日本では、皆が平等、お互いに尊敬すべきという基本考え方は同じだと思います。これは私の人間あるいは職場に対する考え方の一部です。不卑不亢 ―― 卑屈でもなく、傲慢でもなく、大きな文字で書いている「人」として正々堂々と生きていくのは私の信條です。
大げさと言うと、ノイローゼやがんなどの病気にかかりたくなく、また、今後、楽しい仕事環境を求めるため、この間、メールを送ったわけです。觸れたくない意味はいつまでも同じことをばっかり言いたくないということです。人間が生まれつきでの好き嫌いがありません。どんなことでも(良いこと、悪いこと)、お互いの行動によって発生しているわけです。「片手を打ったら、音が出ない。両手を打てば、音が聞こえる」というのは同じ意味です。色々なことにあって、私にとっては、鍛えられると同時に、きっと、よい方向に導かれると信じています。
このメールで、あくまでも私の考えを書いているだけです。どう理解されるかも人によって、違います。人に私の考えを強く押し込むことをしません。更に人を挑発したり、爭ったりするつもりもありません、もう大人ですから。私の日本語も下手で、言いたいことを言い表せない場合もあります。ですので、これ以上行ったり來たりしません。それにしても、侮辱か中傷だと思われたら、會社の。。にお願いします。